Googleに名前を持たない管理会社は、存在しないのと同じ
古代都市が文明から消える過程を、歴史家たちは研究してきた。
都市が物理的に消滅するより前に、記録から消えることがある。交易路から外れ、地図に載らなくなり、他の文明の文書に言及されなくなる。都市はまだそこにある。住人もいる。でも外部から見ると「存在しない」。
記録されなかったものは、あったとしても「なかった」に近づいていく。
内見前に何が検索されているか
ある入居希望者が、SUUMOで気に入った物件を見つけた。
内見を申し込む前に、管理会社名をGoogleで検索した。検索結果には何も出てこなかった。会社のウェブサイトもない。口コミもない。Googleマップにピンはあるが、写真もレビューもない。
内見の申し込みをやめた。
物件自体は条件に合っていた。家賃も立地も間取りも悪くなかった。でも「管理会社の情報が何もない」という事実が、漠然とした不安を生んだ。「大丈夫な会社なのか」という不安ではなく、「情報がないこと自体」への不安だ。
この入居者は別の物件を選んだ。そちらの管理会社には口コミが12件あり、評価は3.8だった。特別に高い評価ではない。でも「存在している」ことが確認できた。
口コミの非対称性
口コミには構造的な偏りがある。
悪い体験をした人は、積極的に書く。怒りや不満はアウトプットの動機になる。良い体験をした人は、あまり書かない。「普通に良かった」は口コミを書く動機にならない。
結果として、口コミが存在する管理会社の評価は低めに出やすい。悪い体験の方が多く記録されるからだ。でも口コミがゼロの管理会社は、「良くも悪くもない」ではなく「存在しない」と読まれる。
低評価でも口コミがある方が、口コミがゼロより信頼される。これは合理的ではないが、人間の判断はそう動く。「何かが書かれている」ことと「何も書かれていない」ことの差は、評価の高低の差より大きい。
沈黙は「可もなく不可もない」ではなく「存在しない」と読まれる。
信頼の基盤が移動した
20年前、管理会社の信頼は大家との関係の中にあった。
「あの管理会社は昔からやっている」「知り合いが使っている」「地域の不動産屋に聞けばわかる」——信頼は人間関係のネットワークの中に存在していた。デジタル上に存在するかどうかは関係なかった。
今、入居者は内見前にGoogleで検索する。管理会社名、物件名、口コミ、Googleマップの評価。これは入居者の「最初の接触」だ。物理的に訪問するより前に、デジタル上で管理会社に「会って」いる。
信頼は「築くもの」から「検索されるもの」に変わった。長年の実績があっても、それがデジタル上に存在しなければ、入居者の意思決定プロセスに入れない。
全国賃貸住宅新聞が報じているように、入居者がSUUMOやHOMESで物件を探し、Googleマップで管理会社を確認するという行動パターンは年々一般化している。管理会社の「信頼」が入居者によって検索される時代だ。
地図から消えた都市
古代の交易都市は、交易路が変わると衰退した。
都市そのものが崩壊したのではない。交易路という「人が通る道」から外れたことで、外部との接点が消えた。接点が消えると、都市の存在は他の文明の記録から消える。記録から消えると、新しい商人は来ない。商人が来ないから、記録はさらに減る。
管理会社がGoogle上に存在しないことは、これに似ている。物理的には存在している。仕事もしている。でも入居者の「検索」という交易路から外れている。外れていることで、新しい入居者との接点が減る。接点が減ることで、口コミは増えない。口コミが増えないから、検索結果に出てこない。
ループだ。
Googleに名前を持たない管理会社は、存在しないのと同じ——というのは比喩ではなく、入居者の意思決定プロセスにおいては、文字通りの記述だ。