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空室対策

なぜ「ペット可」にした途端、ペットを飼わない入居者も増えるのか

ペット可空室対策シグナリング集客

ある築25年のアパートが「ペット可」に変更した。

オーナーの計算は単純だった。ペット可物件は供給が少ない。ペットを飼いたい人は選択肢が限られている。競争相手が少ない市場に出れば、空室が埋まるはずだ。

結果は予想と違った。ペットを飼う入居者は全体の2割にとどまった。それなのに、物件全体への問い合わせ数は1.5倍に増えた。最も入居が増えたのは、ペットを飼わない単身者だった。

ペット可にしたのに、ペットを飼わない人が増えた。この現象は、偶然ではない。


シグナリング理論

労働経済学者マイケル・スペンスのシグナリング理論がある。

企業が育児休暇制度を充実させると、育児休暇を使わない社員の応募も増える。企業がリモートワークを許可すると、毎日出社する社員の応募も増える。

制度を使うかどうかは問題ではない。制度が「存在する」ことが、企業の性格についてのシグナルを発している。「育児休暇が充実している会社」=「社員の生活を大事にする会社」。「リモートワークが可能な会社」=「柔軟な働き方を認める会社」。

応募者が受信しているのは、制度の内容ではなく、制度が発しているメッセージだ。

「ペット可」も同じ構造を持っている。「ペットを飼っていいですよ」という条件の変更が、「ここは寛容な場所です」「多様なライフスタイルを受け入れます」というメッセージとして受信されている。

ペットを飼わない単身者がこのメッセージに反応するのは、「寛容さ」が自分の生活にも適用されると感じるからだ。友人を呼んでも大丈夫そう。趣味の荷物が多くても許容されそう。多少の生活音を出しても神経質に言われなさそう。

「ペット可」の3文字が、これだけの情報を発信している。


ベンチと歩行者

都市設計の分野に、デンマークの建築家ヤン・ゲールの研究がある。

ゲールはコペンハーゲンの街路を何年も観察した。ベンチを増設した通りで何が起きるかを調べた。

ベンチが増えると、座る人が増えた。当然だ。でもそれだけではなかった。座らずに歩く人も増えた。通りの歩行者数そのものが増加した。

ゲールの解釈はこうだ。ベンチがある通りは「疲れたら座れる」という安心感を与える。この安心感が、通りを歩くことへの心理的なハードルを下げる。ベンチに座らなくても、「座れる」という選択肢の存在が行動を変えている。

賃貸物件の「ペット可」も、ベンチと同じ構造を持っている。ペットを飼わなくても、「飼える」という選択肢の存在が入居の心理的ハードルを下げる。「もし将来ペットを飼いたくなっても引っ越さなくていい」という安心感。実際に飼うかどうかは別として、選択肢が閉じていないことの価値。


ベジタリアンメニューの逆説

消費者行動学にも似た事例がある。

あるレストランチェーンがベジタリアンメニューを追加した。ベジタリアンの客は増えた。だがそれ以上に、肉料理の注文も増えた。

メニューにベジタリアンの選択肢があること自体が「この店は多様な好みに対応してくれる」というシグナルになっていた。ベジタリアンでない客も「気が利いた店だ」と感じ、来店頻度が上がった。

注文データを見ると、ベジタリアンメニューの売上は全体の8%に過ぎなかった。でもベジタリアンメニュー導入後の全体売上は22%増加していた。8%の直接効果が、22%の間接効果を生んでいた。

「ペット可」物件でペットを飼う入居者が2割だったのと、構造が似ている。2割の直接的な市場拡大が、それ以上の間接的な集客効果を生んでいる。


「条件」ではなく「性格」

空室対策を考えるとき、多くのオーナーは「条件」を変える。家賃を下げる。フリーレントを付ける。設備を更新する。これらは探索財の論理——数値で比較できる条件での競争だ。

「ペット可」も表面的には条件の変更に見える。でも実際に起きていることは、物件の「性格」の変化だ。

「ペット不可」の物件は「清潔さと静けさを優先する場所」という性格を持っている。これは一つのメッセージだ。このメッセージに共感する人が集まる。

「ペット可」の物件は「多様さと寛容さを優先する場所」という性格に変わる。これは別のメッセージだ。別の層が反応する。そしてこの層は、ペット飼育者だけではない。

条件の変更は「誰が来るか」をコントロールする。性格の変更は「どんな人が来たいと思うか」をコントロールする。後者の方が射程が広い。


制限は「保護」か「排除」か

もう一つ、見落とされがちな構造がある。

「ペット不可」「楽器不可」「子供不可」——これらの制限は、既存入居者の快適さを守るための「保護」として設定されている。意図は正しい。

でもこの制限は、物件の外から見ると「排除」のシグナルとして受信される。「ペット不可」=「ペットを飼う人は歓迎されない」。「楽器不可」=「音楽をする人は歓迎されない」。制限が多い物件は「歓迎されない人のリスト」が長い物件だ。

入居を検討している人が無意識に考えるのは、「この物件は自分を歓迎してくれるか」だ。制限のリストが長いほど、「自分も何かの理由で歓迎されないのではないか」という不安が生まれる。

制限を一つ外すことは、「歓迎されない人のリスト」を一行短くすることだ。その一行がペットに関するものであっても、受信されるメッセージは「ここは少し寛容な場所だ」という、もっと広い情報だ。

ペット可にした途端にペットを飼わない入居者が増えるのは、彼らが「ペットを飼えること」に反応したのではなく、「寛容であること」に反応したからだ。

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