RRoomly
苦情・トラブル対応

「原状回復」という言葉が、退去トラブルの9割を作っている

原状回復退去トラブル敷金法律用語コミュニケーション

「6年住んで元通りにしろって言うんですか」

退去立会いの現場で、入居者が口を尖らせる。大家が国土交通省の原状回復ガイドラインに従って、適切に計算した請求書を渡したあとのことだ。

請求額は15万円。クロスは経過年数で減価され、フローリングの傷も「通常損耗」を除いた部分だけ。計算はガイドラインに完全に沿っている。

それでも入居者は納得しない。「原状回復って書いてあるじゃないですか。だから入居前の状態に戻すんですよね?」と。

ここで大家が「いえ、原状回復とは法律用語で——」と説明を始めると、たいてい関係は悪化する。「説明されないと分からないような言葉を使っておいて、後から都合よく解釈するんですか」と。

請求が適正でも、もめる。それが原状回復トラブルの厄介さです。

国民生活センターの統計では、賃貸住宅に関する相談で「退去時の原状回復」は毎年上位を占めています。請求金額そのものより、「請求の意味を理解できない」ことが相談の入り口になっているケースが目立ちます。

法律用語が日常語に紛れ込むとき

「原状回復」は法律用語です。借地借家法と民法、そして国交省ガイドラインによれば、こう定義されます。

賃借人の居住、使用により発生した建物価値の減少のうち、賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような使用による損耗・毀損を復旧すること

簡単に言えば、「通常使用で生じた汚れや傷は貸主負担、入居者の不注意で生じた損耗だけ借主負担」です。

ところが「原状回復」を日常語として読むと、「原状」は「元の状態」、「回復」は「戻すこと」。つまり「入居前の状態に戻す」と読める。

字面だけ見ると、こう読む方がむしろ自然です。

法社会学の研究では、こうした「法の日常化」がしばしば紛争の原因になることが知られています。「時効」「過失」「善意」——どれも日常会話で使われますが、法的な意味は別物です。「善意の第三者」の善意は道徳の善意ではなく「ある事実を知らないこと」を指す。これを知らずに「私は善意でやったのに」と主張しても、法的には噛み合いません。

「原状回復」も同じ構造です。法律家にとっての意味と、入居者にとっての意味が違う。同じ単語を使っているのに、頭の中の絵が全然違う。

同じ請求が「適正」にも「ぼったくり」にも見える

行動経済学者のダニエル・カーネマンが示したフレーミング効果という現象があります。同じ情報でも提示の仕方で受け手の判断が変わる、というものです。

たとえば医療のインフォームドコンセントで「手術の成功率95%」と伝えるか、「20人に1人は死ぬ手術」と伝えるかで、患者の同意率が大きく変わる。情報の中身は同じなのに、です。

退去精算でも同じことが起きています。

  • 「原状回復費用として15万円」と書く
  • 「通常損耗を除いた、お客様のご使用による損耗の修繕費として15万円」と書く

中身は同一の請求です。でも前者は「元の状態に戻す費用」と読まれ、「6年使ったクロスを新品にする費用を私が払うのか」と反発を招く。後者は「自分の使い方による損耗だけの請求」と読まれ、納得を得やすい。

トラブルの原因は金額ではなく語彙だった、ということが少なくありません。

「言葉のズレ」が積もる場所

原状回復トラブルを「金額の問題」と捉えると、対策は「ガイドラインに沿って正確に計算する」になります。これは必要条件です。

ただ、それだけでは足りません。ガイドライン通りに計算しても、「原状回復」という言葉が間に挟まる限り、入居者の頭の中では「元通りにする費用」と翻訳されてしまうからです。

計算方法については「原状回復ガイドラインの計算方法」で具体的に解説していますが、計算の正しさと、伝わり方の正しさは別軸です。

「精算書を見せても納得してもらえない」という相談が管理会社に寄せられるとき、たいてい起きているのは、ガイドライン上の計算ミスではなく、言葉の翻訳ミスです。

退去精算書から「原状回復」という言葉を抜く

実務でできる対策は、シンプルです。退去精算書や説明文書から、できるだけ「原状回復」という単語を使わずに、何を請求しているのかを書く。

たとえばこういう書き換えになります。

  • ❌「原状回復費用:15万円」
  • ⭕「ご入居中に生じた損耗のうち、お客様にご負担いただく分:15万円」
  • ⭕「内訳:クロスの黒ずみ(経過年数を考慮し50%減価)、フローリングの傷(部分補修)」

「原状回復」という単語は、契約書に出てくる以上、避けられません。ただ、説明する場面ではこの単語を別の表現に置き換えることで、「言葉のズレ」を最初から発生させずに済みます。

国交省の原状回復をめぐるトラブルとガイドラインでも、貸主・借主それぞれの負担区分を「通常損耗・経年変化」と「故意・過失・善管注意義務違反による損耗」に分けて説明する形が採られています。これを精算書にもそのまま持ち込めば、入居者の理解のスタート地点が変わります。

退去時のトラブル予防という観点では、精算書の作り方自体も重要です。「退去精算書の作り方」では、記載項目と内訳の書き方を整理しています。

入居時に「言葉」を渡しておく

もうひとつ効果的な工夫があります。入居時に「原状回復」という言葉の意味を、契約書とは別の説明書で渡しておくことです。

契約書の中で「賃借人は原状回復義務を負う」とだけ書かれていても、入居者の頭には「元通りにする義務」しか残りません。

入居時にA4一枚で、こう渡しておく。

ご退去時に「原状回復」という言葉が使われますが、これは入居前の状態に戻していただくという意味ではありません。日常生活で自然に生じる汚れや傷(通常損耗・経年変化)は当方の負担です。お客様にご負担いただくのは、不注意や過失による損耗のみです。

これだけで、退去時の認識ズレが大幅に減ります。実際、入居時に写真と説明を丁寧に渡している管理会社では、退去時のトラブル発生率が低い傾向があります。「敷金トラブルの9割は入居時に原因がある」でも触れている通り、退去トラブルは退去時に起きるのではなく、入居時に仕込まれているケースが多いのです。

トラブルの原因は語彙にある

退去で揉めたとき、私たちはつい「金額が高いと思われたんだろう」と考えます。それで「相場を提示する」「内訳を細かく書く」という対策を打つ。

でも、本当の入り口は語彙です。「原状回復」という単語が、入居者の頭の中で「元通りに戻す費用」と翻訳された瞬間、いくら適正な金額でも納得は遠ざかります。

法律家にとっての意味と、生活者にとっての意味が違う。同じ単語を使って、別のものを指している。このズレに最初に気付くのが、退去立会いの現場——というのが多くの管理現場で起きています。

請求が適正であるかどうかと、伝わり方が適正であるかどうかは別軸です。両方を整えて初めて、退去精算は「事務作業」になります。語彙を整える、というのは、地味だけれど一番効くトラブル予防です。

Roomlyで賃貸管理をもっとシンプルに

10区画まで無料。クレジットカード不要で、今すぐ始められます。

コメント

読み込み中...