事業が成功した年に、家賃を滞納する
フリーランスのデザイナーが、3年目に初めて家賃を滞納した。
前年比で売上は上がっていた。仕事もある。なのに、8月の家賃が払えなかった。
「7月に大きな案件が入って、請求書を送ったが支払いは9月末払いだった。その間に家賃、税金の中間納付、ソフトウェアのサブスク更新が重なった」という。
収入がなかったわけではない。入ってくるタイミングが、出ていくタイミングと噛み合わなかった。
黒字倒産という現象
スタートアップや中小企業の経営でよく知られる概念に「黒字倒産」がある。
売上は上がっている。受注も増えている。損益計算書は黒字だ。にもかかわらず、手元の現金が底をついて倒産する。原因は売上の計上タイミングと現金の入金タイミングのズレだ。商品を売っても入金は翌月末。人件費や材料費は今月末に出ていく。この時間差が大きくなると、黒字でも現金がない日が生まれる。
「商売が下手」なのではなく、構造の問題だ。利益と現金は別の話で、この差を経営者は事業の成長過程で実感として学んでいく。フリーランスのデザイナーが滞納した8月は、黒字倒産と同じ構造が個人の家計で起きた月だった。
成功した年の方が、この構造にはまりやすい。大型案件が増えるほど、入金サイクルは長くなる。単価が上がるほど、1件の遅延が手元現金に与える影響が大きくなる。「去年より稼いでいるのに家賃が払えない」は矛盾ではない。
滞納が起きやすいのは「収入が少ない月」ではない
直感に反するが、フリーランスの滞納は「仕事が少ない月」に起きるとは限らない。
むしろ「大きな案件が完了した直後の月」に起きやすい。大型プロジェクト完了 → 請求書発行 → 入金まで30〜60日 → その間に固定費が集中する。年収が上がった年ほどこのズレが大きくなる、という逆説がある。
逆に「毎月少額でも安定している」フリーランスはこのズレが起きにくい。フリーランスだからリスクが高いのではなく、収入の波形によってリスクの形が変わる。
「年収300万円の会社員」と「年収500万円のフリーランス」を並べたとき、表面の数字では後者の方が余裕がありそうに見える。でも「毎月25日に固定額を支払う」という観点からは、月次の現金が平準化されているかどうかの方が本質的な情報だ。年収という指標は、この問いに答えない。
滞納という言葉が隠していること
「滞納」という言葉は、「払わなかった」という事実だけを記述する。
でもその事実の裏には、「払えなかった」「払う気がなかった」「忘れていた」「払えるが払わなかった」という全く異なる状況が混在している。法的には同じ「滞納」でも、原因の種類によって事態の意味はまったく違う。
事業が成功した年に滞納したデザイナーは、9月末に大型案件の入金が来た翌日、家賃と遅延分を全額振り込んだ。「払えなかった」が「払う意志がなかった」ではなかった。
この区別は感情的な問題ではなく、構造の話だ。同じ「滞納」という事実の下に、複数の異なる現実がある。どの現実に直面しているかを知るためには、数字だけでは見えない。
「属性」でリスクを見ることの限界
フリーランス不可、個人事業主は審査を厳しく、という基準は一定の合理性がある。
でも「フリーランスでも滞納しない人」と「会社員でも滞納する人」はどちらも存在する。属性はリスクの平均を表すが、目の前の一人については何も教えない。
より本質的な問いは「この人の現金は毎月安定して存在するか」だ。これは職業の種類より、収入の波形と固定費の構造によって決まる。波形が見えれば、年収が高くても特定の月に現金が薄くなる構造を持つ人が見えてくる。
年収という一つの数字が、12ヶ月の現金の動きを隠している。
事業が成功した年に家賃を滞納する人がいる。
その事実は、「滞納者」という像が思っているより複雑な形をしていることを教えている。