「クレームゼロ」を目標にした管理会社が、3年で顧客の半分を失った
経済学に「グッドハートの法則」と呼ばれる原則がある。
「計測が目標になった瞬間、その計測は計測として機能しなくなる」。
元はイギリスの経済学者チャールズ・グッドハートが金融政策について述べた言葉だ。中央銀行がマネーサプライの特定の指標を政策目標に設定すると、市場参加者がその指標に合わせて行動を変えるため、指標が経済の実態を反映しなくなる。
この法則は経済学に限らない。人間が数値を目標にした瞬間、あらゆる場所で同じことが起きる。
ソ連の釘工場
計画経済の時代のソ連に、釘を製造する工場があった。
中央政府が「生産量を重量で評価する」と決めた。工場は巨大な釘ばかり作った。使い物にならない鉄の塊のような釘が大量に出荷された。
次に「生産量を本数で評価する」と変更した。工場は極小の釘ばかり作った。木材に打ち込めないほど細く短い釘が大量に出荷された。
どちらの場合も、工場は「優秀な成績」を収めた。重量ベースでもトン単位の生産量。本数ベースでも数百万本。数字の上では計画を達成している。でも建設現場で使える釘は一本もなかった。
これがグッドハートの法則の本質だ。人間は目標を達成しようとする。でも目標が数値で定義されると、「数値を達成すること」と「その数値が本来測ろうとしていたものを達成すること」が分離する。
クレーム件数という指標
ある管理会社が「クレーム件数の削減」を年間目標に掲げた。
意図は明確だ。クレームが多い=入居者が不満を持っている=サービスの品質が低い。だからクレームを減らすことが品質向上の証拠になる。
初年度、現場スタッフは頑張った。対応のスピードを上げた。入居者への連絡を丁寧にした。実際にクレーム件数は減った。ここまでは正しい。
問題は2年目から起きた。
件数は減ったが、ゼロにはならない。評価制度に組み込まれたクレーム件数が人事考課に影響し始めると、スタッフの行動が変わった。入居者からの電話を「クレーム」ではなく「相談」として記録するようになった。台帳のカテゴリを変えるだけで、クレーム件数はさらに減った。
3年目、クレーム件数はほぼゼロになった。経営会議では「サービス品質が大幅に向上した」と報告された。
同じ年、契約を更新しなかったオーナーが前年の2倍になった。
「消えた」のではなく「見えなくなった」
オーナーが契約を更新しなかった理由を聞くと、「入居者の不満に対応してくれない」「現場の状況が全く報告されない」という声が出てきた。
クレーム件数がゼロになったのは、クレームが消えたからではなかった。クレームが記録されなくなったからだった。記録されないクレームは集計に現れない。集計に現れないから分析されない。分析されないから対策が打たれない。対策が打たれないから入居者の不満は蓄積する。蓄積した不満はオーナーへの直接連絡という形で噴出する。
管理会社が見ていた数字はゼロ。オーナーが見ていた現実は悪化。この乖離が3年かけて広がった。
病院の「患者満足度」
似た構造は医療業界にもある。
アメリカの病院で「患者満足度」が経営評価の指標に組み込まれた。満足度を上げると補助金が増える仕組みだ。
結果、一部の医師が患者の要望に過剰に応えるようになった。医学的に不要な抗生物質を処方する。痛み止めを必要以上に出す。患者は満足する。満足度のスコアは上がる。でも過剰な抗生物質投与は耐性菌のリスクを高め、過剰な鎮痛剤はオピオイド依存のリスクを高める。
数値上の「満足」が、実質的な「害」を生んでいた。指標が目標になった瞬間に、指標が測ろうとしていた「医療の質」から分離した。
鏡を磨いても部屋は綺麗にならない
KPIは現実を映す鏡だ。鏡が曇っていれば磨く必要がある。でも「鏡に映る像を綺麗にすること」と「部屋を綺麗にすること」は別の行為だ。
クレーム件数は、入居者の満足度を映す鏡の一つだった。でもクレーム件数を目標にした瞬間、鏡の像を直接操作するインセンティブが生まれた。鏡を磨くのではなく、鏡に映る角度を変えた。部屋は散らかったまま、鏡には綺麗な部屋が映っている。
指標を設定するとき、「この指標を最小コストで達成する方法は何か」を考えてみるといい。その方法が本来の目的と一致しないなら、その指標は目標にすべきではない。
クレーム件数を最小コストで減らす方法は、クレームの分類基準を変えることだ。入居者の不満を減らすことではない。この二つが一致しないなら、クレーム件数は目標として機能しない。
計測できるものを改善しようとすると、計測の仕方を改善してしまう。この罠は、数値が好きな組織ほど深くはまる。